こんにちは。前回の続きです^^
第三はその知識体系の使用範囲は広いか。
特定地域の特定の階層の人にしか通用しないのか。
個人の問題を解くときでも集団・文化の問題を解くときでも使えるのか。
なるべく適用範囲の広い学問の方が、一般市民にとっては有益です。
第四はその学問は使いやすいか。
ただ知識として記憶にとどめておくだけのもの(例-床の間の飾り物)ではなく、人生で遭遇する問題を解くのに役に立つかどうかです。
この評価の観点は私のプラグマティズムに由来します。
第三はその知識体系の使用範囲は広いか。
特定地域の特定の階層の人にしか通用しないのか。
個人の問題を解くときでも集団・文化の問題を解くときでも使えるのか。
なるべく適用範囲の広い学問の方が、一般市民にとっては有益です。
第四はその学問は使いやすいか。
ただ知識として記憶にとどめておくだけのもの(例-床の間の飾り物)ではなく、人生で遭遇する問題を解くのに役に立つかどうかです。
この評価の観点は私のプラグマティズムに由来します。
知識体系としての学問は私の定義では技術を含んでいますが、さて学問によしあしがあるかのごとく言う人(例-英語使いVに対してどう反論するか。
反論のチェックポイントが四つあると思うひとつは実証性があるかどうかです。
実証性がなければ、学問といってもそれは当人の個人的見解の域を出ていない。
思い込みか推論ていどの知識体系です。
第二は論理性があるかどうかです。
データを収集して論証できないとしても、せめて論理的一貫性はあるか。
事実・概念・理論・技術のまとめ方が理にかなっているか。
こじつけではないか。モザイクではないか。です。
こんにちは。
理論を手がかりにして、「こうすればこうなるはずだ」と仮説を疏て、ものはためしにやってみる人が出てきます。
そしてうまくいけばそれを定型化して「技術」と称する。
そうするとひとつの理論からわれもわれもと「技術」を開発し提唱する人心理学ならば臨床家というが出てきます。
理論のなかにはたくさんの技術を有するものと技術をあまり持たないもの(実川性の乏しい理論)とがあるが、技術をたくさん持っている理論は軽薄であるとか、技術を持たない理論こそ真の学問であるとか、そういうことは言えない。
学問とは、「事実・概念・理論・技術」がワンセットになった知識体系のことです。
したがって、技術(スキル)は学問ではないというビリーフはイラショナル・ビリーフ(理屈に合わないおかしな考え方)です。
◆発作を起こさないための注意◆
アレルゲンに注意する
患者自身が掃除をする場合は、マスクをつけるという配慮も必要です。
室内塵は種々雑多なものの混合で(そのなかの何がもっとも重要なものであるかについては、まだはっきりわかっていませんでしたが、研究により、それに含まれているちりダニが、もっとも重要であることがわかってきました。
そこで、部屋の充分な掃除はもちろんですが、ダニが繁殖するための条件をなるべくあたえないこと、たとえば栄養となる食物、牛乳などはたたみの上にごぽさないように、こぼしたときはきれいにふきとるという配慮がたいせつです。
◆発作を起こさないための注意◆
アレルゲンに注意する
すでに述べられたように、ぜんそくの発症には抗原抗体反応が関与している場合がかなりあります。
抗原としては、室内塵、花粉(ぶたくさ、かなむぐら、よもぎなど)、かび類、動物の毛やふけ、食物(魚、卵など)などいろいろあります。
これらの抗原に感作されていて、そのためぜんそくの発作を起こす患者では、これらとの接触をできるだけさけることが必要です。
たとえば室内塵との接触をできるだけさけるためには、家の掃除は電気掃除機を用いてほこりがたたないように心がけ、掃除機の及ぼないところはきれいにぞうきんでふきとります。
家族が掃除してくれるときには、別の部屋で待つようにするとよいと思います。
◆発作を起こさないための注意◆
発作を起こすきっかけは多種類にわたっています。
個人差もあり、同じ誘因が作用しても発作を起こす患者と起こさない患者がいます。
また患者のそのときの状態によっても発作の程度が異なります。
しかし、患者や家族の心がけしだいで、ある程度発作が起こらないようにすることが可能です。
ではどのような心がけが必要でしょうか。
これについて次回になりますが、説明してみようと思います。
上をみればきりがありませんが、下をみればこれまたきりがありません。
病気に悩んでいるのは、ぜんそく患者だけではありません。
要はこころのもちかたです。
自分の病気を甘受し、自信をもってそれに打ち勝とうとする心構えが必要です。
周囲も患者をあまやかさず、しかも温かい思いやりで接することがたいせつです。
静かに呼吸困難の苦しみと対決するというぐらいの心構えが必要です。
このようなぜんそく発作をくり返していると、学業の遂行のうえにも、社会生活のうえにも不利で、患者は学校や職場を休むことも多くなり、そのうえ、治療のための経済的な負担もばかにはなりません。
したがって自分に失望し、患者は家族や職場に対してなんとなく劣等感をいだくようになり、ますます社会から脱落していきがちです。
しかし、世の中には不幸な人は数多くいます。
ぜんそくは慢性疾患であり、ぜんそく発作はぜんそく患者でないと理解できない死の苦しみです。
しかし、発作中にあまりにも不安感におそわれて、不穏の状態になるとかえって呼吸困難を悪化させます。
ぜんそく発作は心因的なものにもかなり左右されうるのです。
苦しくてもできるだけ気持を落ち着け、腹式呼吸をしながら、患者自身で、上手に、ときおり吸入器を使用したり、経暴を服用したりして、医師の治療を待っているうちにかなりよくなるものです。
ぜんそく発作で死の転帰をとる場合は絶無ではありませんがまれです。
神経質になってあわてるとかえってよくありません。